【メモ】千野帽子×千葉雅也 『物語は人生を救うのか』刊行記念トークイベント

20190531

千野帽子×千葉雅也 『物語は人生を救うのか』刊行記念トークイベント

のメモです。

 

自己アイロニー、自分ツッコミしがちなふたり。

虚構と嘘はちがうが肝。騙す意図があるのかどうか。
虚構って言った方がカッコいいから誤用されがち。フィクションは嘘のロジックに回収されがち。

最近は支持されやすい方に流されるようになっている。悪いことが起きそうだから封じるとかそういう流れがある。
表現を表現自体として大切にすること。
文化表象がコミュニケーションの手段に回収されてしまっている。道具的なものとして扱われてしまう。ただそれ自体としてあることが損なわれがち。

日常は道具的になるのはそりゃそうなんだけど。芸術はその先。芸術としての芸術。道具的な見方はどういう効果を与えるかだけで評価されてしまう。
必要なことの連鎖で日常ができている。
それを遊離するようなものがなくなっていく。文化としての文化。90年代まではあった。
コミュニケーションのためにやる。文化としてやる。

俗世と自分の問題。社会の中の文学論。ストーリーを作ってくる。ノンフィクションがフィクションに近づいていくことに警戒している。現実を物語的に粉飾している。

物語批判的な態度。
完全なる無意味なものを認めない。因果関係を見出そうとする。出来事には無意味や偶然の成分を見ないようにしたい。
無意味。偶然性のきらめき。
物語を求める。こうしたからああなった。
物語と偶然性の二重性。
必然性で物事を捉えてるときの方がつらくなってること多い。
たまたま起こってしまったことが決定的に自分に作用してしまう。
因果関係をつないでほっとした経験。
物語を作っては破壊する、精神分析

自分を被害者ポジション、加害者を敵に置く危険性。それやると回復できなくなる。被害体験を物語的にとらえるからそうなる。
物語の享楽。意味を繰り返して反芻する危険性。
物語と戯れつつ絶対化しないこと。閉じた物語に全員参加はナショナリズム
Twitterは共感の作法になってしまった。
芸術をコミュニケーションの場にお招きするみたいなのがいい形。
システムの問題だととらえることで気づいた。人と人の関係がシステムとして働くことで起きてしまっているという理解。